知られざる第3の音楽評価基準

クラクック音楽の演奏に関する評価は大雑把に言って次の3つの側面があると言えるでしょう。

1.演奏技術

2.表現力(いわゆる「歌い回し」)

3.聴衆の心身にとっての価値=このホームページで言う「音楽」

このうち1と2は一般的ですが、3については意識して論じられることはありません。しかしながら国際的な演奏家の多くは3の評価基準をかなり満たす場合が多い様です。従って、人々の内側で潜在意識的にこの評価基準が働いていると言えます。

これら3つの評価基準を別の言葉で表現すれば、1と2は「演奏する立場」の評価であり、3は「聴く立場」の評価です。従って3のために1と2が存在することになります。1と2の基準は音楽そのものに対する評価基準ではなく、あくまで演奏者が音楽を聴衆に運ぶための器に対する評価基準ということになります。

第3の評価基準を意識すること

結果的に第3の評価基準をかなり満たす演奏家であっても、そのほとんどは聴衆と同様にこの基準を意識してはいない様です。非常に重要なことは、無意識に演奏して第3の評価基準を「かなり」満たしている演奏家が、それを意識して演奏すればこの評価基準を「完全に」満たす様になるだろうということです。前章で解説した「演奏態勢」を意識して行なうことによって、それは実現します。

技術と表現力があってはじめて演奏者は聴衆に十分に「音楽」を伝えることが出来る

ここで誤解してはならないことは、音楽さえあれば技術や表現力はどうでもよいということでは無いということです。技術と表現力があってはじめて演奏者は聴衆に十分に音楽を伝えることが出来ます。演奏者は「音楽」を作曲家が設計した曲という器の中に入れて聴衆に渡します。器が無ければ演奏者は聴衆に音楽を渡すことはできません。またこの器が不完全なものであれば、演奏者は器のことが気になって安心してその中に「音楽」を注ぎ込める状況ではなくなります。従って聴衆に「音楽」を十分に伝えるためには、作曲家の設計通りの器を作る演奏技術と表現力が必要です。演奏技術と表現力が高度であるほど大きな「音楽」を聴衆に伝えることが出来ます。

「音楽」は先天的・技術は後天的

「音楽」は天性の演奏家であれば、先天的に備わっているものです。獲得する為の努力を要するものではありません。一方演奏技術は後天的に努力して獲得するものです。従って演奏家の天性のある者がその天性をフルに発揮できるかどうかは、演奏技術獲得の為の努力にかかっていると言っても過言ではありません。

「音楽」は勘違いによって蓋をされる

但し器そのものが「音楽」であると勘違いして始めから空の器を聴衆に渡したり、自我のレベルであえて打ち出した個性とか感情表現が「音楽」であると勘違いしてそれらを器に入れて聴衆に渡しているということが少なからず見られます。

これら別物が器に入ってしまうと、本物の「音楽」の入る余地が無くなってしまいます。天性の演奏家であれば、技術と理論をしっかりと習得した上で「演奏態勢」をとれば、個性とか感情表現は自然に出て来ます。自我、そしてそこから生じる人間的感情を超えて、無心に集中することが出来た時に始めて本当の音楽を聴衆に伝えることが出来ます。「個性」とは「あえて打ち出すもの」ではありません。本当の「個性」は自我を超えて全体と一体になった時に「自然に出て来るもの」です。

料理においても素材の味を引き出すということが大変重要なポイントになります。味付けが素材の本来もっている味を引き立てるものであれば良いのですが、調味料を使い過ぎて素材の味が消されてしまっている様では、何を食べているのか分からなくなってしまいます。演奏の世界においても、素材自身が持っている”味”をもっとはっきり認識し、尊重すべきです。

気の操作によって簡単に蓋を開けられる

演奏技術さえ備わっていれば、あえて不自然な感情表現などするまでもなく、前章で述べた気の操作を会得することによって、大きな音楽を聴衆に伝えることが出来ます。気の操作は技術の習得の様に長期間を必要とするものではないし、一旦会得してしまえば、技術の様に練習しなければ衰えてしまう、ということはありません。そのことに興味を持つ感性があるかどうかの方が問題です。その気があれば、驚くほど短期間の内に、その人の演奏に革命が起きます。

天性の演奏家のみが聴衆に大きな絶対的感動を与えることが出来る

人間には一人一人に自分のパワーを最大限に発揮できる仕事、即ち天職があります。多くの場合、試行錯誤の経過はあっても、最終的に天職に落ち着く様です。演奏家は特に天職であることが絶対的条件になります。即ち全体で創造される「音楽」は、天性の演奏家の体を通してのみ最大限に聴衆に伝えられるからです。この時、聴衆に大きな絶対的感動が伝わります。

開閉感覚によって幼児期に天性を見分ける

演奏家になるためには本人の意志に関係無く、幼児の内からの訓練が不可欠です。そこでまず必要になるのが幼児期に演奏家としての天性の有無の見分けることですが、開閉感覚によってこの難問は解決します。開閉感覚をマスターした者は、演奏家の天性を持った幼児が本命の楽器に触れて出している音を聞いただけで、絶対的感動を伴った「開」を感覚します。

「音楽」は演奏者自身のためにも価値がある

天性の演奏家にとって「音楽」は先天的に備わっているものです。演奏技術の様に「習得」するものではありません。出来るか出来ないかの問題ではなく、演奏者がそれをしたいと思うかどうかの問題です。「音楽」は聴いている聴衆の為だけではありません。演奏者自身の為でもあるのです。即ち演奏者自身が絶対的感動を味わうことになり、音楽をすることの価値を実感するからです。

音楽革命

人々(聴衆)が音楽の真価に気が付くこと、そして音楽の真価を伝えられる演奏者が育つこと、それによって音楽の世界が本来の姿に戻る”音楽革命”が実現します。