「世界の頂点を極めた孤高の巨匠」の来日

「世界の頂点を極めた孤高の巨匠」、これが今回ミハイル・プレトニョフ・ピアノリサイタルのパンフレットに掲げられたキャッチフレーズです。

このキャッチフレーズは正にプレトニョフに相応しい見事な表現だと思いますが、私はこのキャッチフレーズを見た時、このリサイタルの主催者で、プレトニョフが所属するジャパンアーツが、よくこの言葉を書いたものだと少し驚きました。何故ならジャパンアーツには、世界の錚々たるピアニスト達が所属しており、彼らを差し置いての言葉だったからです。

しかしながら、このコンサートをもし彼らが鑑賞したら、感性の乏しいピアニストを除いて、このキャッチフレーズを納得するでしょう。それほどの演奏だったと思います。

プレトニョフは、東京フィルハーモニー交響楽団の特別客演指揮者としては毎年来日していますが、ピアニストとしては2年に1回ほどになっております。前回の2021年の時、私はチケットを購入してあったのですが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響により中止となりました。2年後の今年、ようやく鑑賞の機会が訪れました。

クラシック通とされる人達の間では、コンサートホールの音響効果の関係から、舞台からある程度離れた、具体的には二階席の前の方が一番良い席ということになっている様ですが、今回私は一階の一番前の席を取りました。音響効果よりも演奏者の気配を感じ、微妙な表情を読み取りたかったからです。

お陰で今回は、今迄気が付かなかったことにも気づきましたので、それらも含めて今回のプレトニョフの演奏について語らせていただきます。その前に、プレトニョフが名実共に世界の頂点を極めるまでの、決して平坦ではなかったの道のりについて述べることによって、彼に対する理解を深めていただける様にしたいと思います。

ミハイル・プレトニョフの辿った道

1990年(33歳)まで

プレトニョフは1978年に、21歳でチャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門に優勝し、一躍世界に知られることになりました。その時の演奏をYoutubeに限定公開でアップしておきました。

チャイコフスキーコンクールのピアノ部門は、伝統的にまるで音楽演奏の格闘技を思わせる様な力強さを求められるコンクールで、プレトニョフは細身の体に関わらず他の出場者を全く寄せ付けない強靭な演奏しました。本人はその強靭さの秘訣はイメージ力だと言っています。特に大きな音を出す時はキノコ雲をイメージするのだそうです。藤田真央君がこのコンクール史上で恐らくはじめて強靭さではなく音楽で挑み、熱狂的な支持をましたが、プレトニョフの演奏はそれとは対照的だったと言えるでしょう。

プレトニョフはその後、その驚くべき技巧、深い知性に裏づけられた演奏、完璧にコントロールされた美しい音色で、カリスマ的人気を誇る現代最高のピアニストの一人として活躍する様になりました。

当時私は彼が来日した時に生の演奏を聞く機会に恵まれました。そして知る範囲では、演奏家を含めた古今東西の知られたあらゆる芸術家の中で唯一の開Sという、地球人離れした存在であることを知りました。お陰で私は治療業務においても開Sという回復力レベルがあることを知らされました。すべての人々の回復力のレベルが開Sに維持されれば、病院の無い世の中が実現するでしょう。そういうレベルです。

その後私は治療院のBGMとしてプレトニョフの演奏のみを流す様になりました。理由は開Sの演奏は山中を流れる川のせせらぎや岸辺に打ち寄せる波の音と同様、ずっと聞き続けていられるからです。一人の患者さんが治療室に居る時間は長くて1時間位ですが、私は10時間以上居ますので、開S以外の演奏を続けて聞くと、演奏者の”アク”が溜まって来て耐えられなくなるのです。後に開B以上の演奏であれば、色々な演奏者をシャッフルして一人の演奏者が続かない様にすれば耐えられることが分かるまで、かなり長い期間プレトニョフの演奏のみを流しておりました。

1990年(33歳)から2013年(56歳)まで

1990年に彼はピアノ演奏の傍ら、ロシアにおいてはじめて国家から独立したロシア・ナショナル管弦楽団(RNO)を創設し、その音楽監督そして指揮者としての活動も開始しました。プレトニョフのアーティストとしての力量と彼の演奏芸術に対する新しい透察力に惹かれ、このオーケストラにはロシアで最高のレベルにある音楽家達が集まりました。そしてRNOは数年のうちに世界有数のオーケストラとして認められるようになりました。

オーケストラという”楽器”の演奏を経験したことに起因していると考えられますが、ピアニストとしてのプレトニョフは、20代の頃の硬質な演奏から打って変わって、変化に富んだ多彩な表現を試みる様になりました。野球で言えば、直球主体だった投手が、変化球主体に変身しようとしたのです。

彼が1985年の”直球主体”の時に既にCDでリリースしたチャイコフスキーの「四季」を、1995年に”変化球主体”になってから出し直しており、この二つのCDを聞き比べるとその違いが分かります。

1985年 チャイコフスキー「四季」より「秋の歌」

1994年 チャイコフスキー「四季」より「秋の歌」

 

どちらも開Sの演奏には違いないのですが、どちらかというと、私は音に強弱を付けた多彩な表現を試みている後の演奏よりも、平旦で揺ぎ無い前の演奏に親近感を覚えます。

こうしてピアニストと指揮者というハイブリッドの音楽家として活躍する様になったのですが、「私はピアノではなく指揮棒を持って生まれて来た」という発言もある様に、彼の気持ちはどちらかというと指揮の方に向いていた様です。それは多分、オーケストラと比べ、現存するピアノという楽器では思う様に自分に来ている音楽を表現出来ないという思いが起因していたと思われます。そして2006年にベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を録音した後、突然のピアニスト引退宣言をしました。

2013年(56歳)以降

でも彼に定められたピアニストとしての使命はそれで終わりではありませんでした。2013年に7年間のブランクから復活を果たしました。そのきっかけとなったのはモスクワ音楽院に置かれたShigeru Kawai フルコンサートピアノ SK-EXでした。プレトニョフは「SK-EXとの出逢いがなければピアノの再開はなかった」とまで話しています。偶然に、と言うより導かれる様に、プレトニョフは自分に来ている音楽をフルに表すことの出来る楽器を見つけたのです。オーケストラを創設して指揮を経験したことにより、それまで弾いていたピアノの自分にとっての不完全さが明確になったことが、最終的に彼がピアニストとしての本来の使命を果たすことに結びついたと言えます。

ピアニストとしてのプレトニョフが復活してから10年目になりますが、Youtubeで過去の演奏を確認しますと、私見ですが2020年11月頃からの演奏は彼自身が本当に納得できる領域に達していると思います。開Sの演奏者のサイトでのプレトニョフの演奏は、冒頭のオーケストラの指揮以外はその時期以降のものです。

舞台裏での印象

過去にプレトニョフのコンサートに行った時に、数回演奏終了後に舞台裏で片言の英語で話したことがあります。彼は全く飾り気がなく、愛想良く振舞うと言うことの無い人柄ですが、演奏によってとても良いエネルギーを授かったという類いのことを告げると、とても感じの良い笑顔になり、喜びを持って受け止めてくれます。彼が音楽演奏で大切にしているものが、それで分かります。

そして別れ際に握手する際の、彼の手の感触はまるで赤子の手の様で、その感触のイメージは今でも鮮明に残っています。彼は知的にも極めた人間ですが、それでいて人間が生まれた直後には誰でも持っているとても大切なものを、現在も持ち続けているのです。そしてこのことがこれからお話しするプレトニョフの演奏の素晴らしさの根源になっています。

舞台裏での印象と言えば、もうひとつ、記憶に残る場面を目撃しましたので、書き加えます。十数年前にプレトニョフが筑波でリサイタルを行った時のことです。演奏終了後の舞台裏で、プレトニョフに会おうとする人達が集まって来ている中で、母親を伴った一人のピアノを勉強中と思われる女学生が、プレトニョフに対して楽譜を開いて「この部分はどうやって弾いたらいいんですか?」と質問を投げかけたのです。世界の頂点を極めるピアニストに、全く見ず知らずの人間がこの様な質問をするということが、世間的な、とくに音楽の世界の常識から、如何に外れたものであるかということについてはここで改めて述べませんが、この様な質問に対しては、多分「常識や礼儀を学んでから出直して来い!」と叱りつける演奏家も中にはいるでしょう。この時プレトニョフは「私は今疲れていて目がよく見えないんです」と言ってこの”無礼者”の要求を静かにかわしました。彼は別次元の穏やかな世界に住んでいる人間で、荒れた波動の世界には関わりたくない、同調しないという様子でした。

今回(2023年2月28日)のリサイタル

別格の集中力

私はミハイル・プレトニョフの演奏するステージをもう40年近く見て来ました。多くのピアニストは舞台に出て来てピアノ椅子に座ってから改めて集中する仕草をし、しばらくしてから演奏を開始しますが、彼はピアノの椅子に座ると同時に演奏を開始します。意識的に集中を強めるという仕草は全く見られないのですが、演奏している時の集中は誰も及ばない別格のものがあります。その都度「自分はあれほど集中して仕事に挑んでいるだろうか」と自省させられて来ました。コンサートへ行く都度自分がリセットされる、毎回そういう期待感を持って会場へ向かいます。

パワーは開演前から聴衆を包む

もう何十年も前のことですが、当時巨匠ピアニストと言われたクラウディオ・アラウのリサイタルを上野文化会館に家族で聞きに行った時のことです。上野で電車を降りて駅の階段を上り始めた途端、体が驚くほど軽くなって楽に階段を上れていることに私も妻も気が付きました。そして駅の改札口を出て、駅前にある文化会館に向かう人が皆同様に体が軽くなって行くのが、私の治療感覚で分かりました。即ち演奏者のパワーは演奏開始前から、演奏を聞きに向かっている人達に届いているのです。

今回のプレトニョフのリサイタルは東京オペラシティで行なわれました。同会場は都営新宿線初台駅を降りてから外に出ることなく会場まで辿り着くことが出来ますが、その間にいくつかのエスカレーターがあります。ずっと感覚を働かして注目していたのですが、会場に着く最後のエスカレーターの入り口の所からガラッと変わって開Sの空間が形成されていました。

会場に入ってすぐに気が付いたことは、集まって来た聴衆は大勢とは言え、プレトニョフの演奏を聞きに来るという非常に限られた層の人達であり、知らない人達ばかりですが感性のレベルで通じるものがあり、私にとってはアットホームな、安心出来る空間が既に形成されていました。

ステージに登場する姿

私は最前列の真ん中の席を購入したかったのですが、ネットで購入する時にチケットぴあのパスワードが間違っていて時間を喰い、結局最前列ではありましたが左端から4番目の席になってしまいました。しかしながら、この事が結果的に幸いしました。この席は出演者が舞台裏から出て来てピアノの所まで歩いて行く中間点で、プレトニョフがどの様な感じで登場して来るかを目の当たりにすることが出来たのです。

前述の私にとってアットホームな聴衆の感じというのはプレトニョフにとっても同様な感じだった様で、親しみのあるフランクな様子で登場しました。

舞台上をピアノに向かって歩いて行く間に、まず舞台後ろのP席の聴衆を見上げ、次に正面の聴衆を見て「やあ!」という感じで軽く手で会釈し、集まってくれた聴衆に納得したと言わんばかりに二度うなずきき、ピアノに近づいて行きました。彼は聴衆が自分に何を求めているかをはっきりと分かっており、そしてそれに対して自分が100パーセント応えられるということも分かっているということが、その雰囲気から読み取れました。聴衆の意向と関係なく、自分が勉強して来て正しいと思っている解釈で弾くことを大事にする並みのピアニストとの違いが鮮明に表れていたと思います。

ピアノの近くまで歩いて来た彼がピアノを見ると、”あれれ、Shigeru Kawaiは寝てるよ!”と気付き、ピアノの所まで来るとピアノの左端、すなわちShigeru Kawaiの”左肩”の上に左手を乗せ、手先で結構強めに、早めのリズムでポンポンポンポンと叩きました。この、眠っているShigeru Kawaiを「さあ、演奏するよ!」と目覚めさせた光景は、プレトニョフがピアノを生き物として捉えており、そして彼とこのピアノとが気心の通じたとても親しい”相棒”であることを感じさせるものでした。Shigeru Kawaiを寝ているまま弾きはじめてびっくりさせない様にしたという、プレトニョフの優しさが現われていたと思います。この時目覚めさせられたShigeru Kawaiは、多分プレトニョフが自身のイメージ力でこのピアノに吹き込まれたエネルギー体でしょう。

一部が終わった時点でのパワーに溢れたShigeru Kawaiの写真です。

そして椅子に座る前に聴衆をしばらくじっと見渡して、それからチョコンと軽くお辞儀をして椅子に座りました。彼自身としてはお決まりの無意識の動作だと思いますが、演奏開始前に聴衆を見渡すことによって、自分がパワーを送る対象が印象としてはっきり把握され、その印象を保ったまま演奏を開始することによって、自分のパワーが100パーセント聴衆にに届く様に態勢がリセットされることが分かりました。

総じて、演奏が始まる前の舞台に登場した時から、その大きなパワーによってすでに聴衆を手中に収めている、そういう感じでした。

演奏について

演奏の論評ですか、私はクラシック音楽の専門家ではありませんから、評論家がする様な、技術面、音色、曲の解釈を始めとした話は、それらが例えば耳ざわりなほどおかしくない限り評価出来ませんし、またそれらの評価が仮に出来たとしても、それでプレトニョフの真価を語ることは出来ないということをよく知っています。ここではその真価について簡潔に表現してみようと思います。

聴衆を真の自分に目覚めさせる演奏

プレトニョフの演奏は、聴衆がそれまで存在していた世界とは別次元の世界に導くものでした。第一部の終了時、そして第二部の終了時に周りの人達はとても感動した様子で口々に「素晴らしい、素晴らしい」と言うだけでした。音が綺麗だとか、すごいテクニックだとか、音楽が素晴らしいとか、そういった理由は何も聞こえて来ません。理由は言わなくてもお互い既に素晴らしいと感じていることを分かっていて、理由抜きに「素晴らしい」と言っている様子でした。

何故素晴らしいのか、理由をご説明します。

私達は大きな宇宙の一構成分子ですですが、ほとんどの人はそれを忘れ、五感によって形成された自我に支配されて生きております。プレトニョフは普通の人間であると同時に、常にこの宇宙に同調し、それと一体になっています。そしてピアニストとして、ピアノという楽器を使って演奏すると、それを聞く聴衆は、この宇宙と一体になったプレトニョフに同調します。すなわち聴衆はプレトニョフと同じ態勢にななり、自分達自身に潜在する宇宙的な部分を体験します。

その宇宙的な部分は、自我も生死も始めも終わりも無い、おだやか大きな安心に満ちた世界です。プレトニョフによって体験するこの大安心の世界は、正確に言うとプレトニョフによって授けられたものではなく、本来宇宙の一分子である聴衆一人一人に元々存在しているが、五感の発達によって意識が外に向いてしまったために気が付かなくなっていた部分です。

聴衆はプレトニョフの演奏を聞いている間、自分本来の素晴らしさに気が付くのです。その効果は演奏後もしばらく続きますが、間も無く五官の世界に引きづり込まれて忘れます。この直後の素晴らしい状態をずっと維持する方法は、現在でも良い音楽の演奏法のページに書かれていることをヒントにすればお分かりいただけると思います。

ブラボーと叫ぶ気にならないほど素晴らしい演奏

このコンサートが如何に素晴らしかったかを証明する出来事が起こりました。起こったというより、普通は起こる筈のことが起こらなかったという方が正確かも知れません。

私はこの演奏を聞いていて、一部の演奏が終了近くなって来た時、会場が大きな、しかしながらとても静かな感動に満たされて来たことを感じ、聴衆に感性のおかしな人がいない限り、ブラボーという叫びが起こらないのではないかと感じていました。ブラボーと叫ぶような、荒々しい感動の世界では無かったからです。

案の定、一部の演奏が終了した時、鳴りやまない大変な拍手だったのですが、ブラボーを発する人はおりませんてせした。そして二部の演奏が終了しても、アンコール二曲が終了しても、スタンディングオベーションは起こったのですが、ブラボーの叫びはありませんでした。

欧米でのコンサートであれば、多分ブラボーという叫びがあちこちから起こったでしょう。ブラボーという叫びが起こらなかった当日の聴衆の素晴らしさは、日本人独特の感性の一面が現われていた気がします。もしかするとプレトニョフもそれに気が付いて、日本人を見直したかも知れません。

再確認した演奏態勢

以上はプレトニョフの演奏によって聞く人の生命に生ずる現象についての解説でしたが、彼がその結果を生み出すために取っている演奏態勢についても触れておきます。

  • プロ野球の長嶋茂雄氏が不振の打者に必ず「腰で打て」とアドバイスします。腰で打つ意識でスイングすると、腕や肩ではなく体全体で打つことになるからですが、正確には体を丹田でしっかり支えて打つということです。音楽演奏では、心をこめて歌おうとして肩で弾く演奏者が多いのですが、プレトニョフは丹田で弾いているというのが大きな特徴です。丹田が指を動かしている感じです。丹田をしっかりさせ、心ではなく体をこめて弾くことにより、大きな音楽を聴衆に伝えるための基本的な態勢が出来ます。
  • もう一つの特徴は、開B以上の演奏者は前胸部で音楽をするのが特徴ですが、プレトニョフの場合は音楽をする中心が低く、前胸部の下の方、みぞおち辺りです。東洋医学で言う12経絡のそれぞれに、腹部の気の多く集まる所に在る募穴と言われる種類のツボがあります。そして12経絡の一つである心経は神を宿す経絡とされていますが、その心経の募穴が巨闕(こけつ)というみぞおちにあるツボです。プレトニョフはこの巨闕辺りを中心として音楽をしています。これによって高尚かつ重心の低い安定感のある音楽を生み出しています。
聴衆との一体=宇宙との一体がこの演奏態勢を生み出している

冒頭のチャイコフスキーコンクールの協奏曲演奏での地響きを立てて伝わって来る音、逆に静かな音楽の演奏でとても大きな安心を運ぶことを、この演奏態勢が可能にしていると思われます。ただしプレトニョフは意識してこの演奏態勢を作っている訳ではありません。宇宙と一体になると自然にこの態勢になっているのです。宇宙と一体になっている証しがこの演奏態勢になっているということです。

誰でも開Sになれる

演奏する人に限らず、人は誰でも開Sになれます。人は皆宇宙の一部分だからです。正確には「開Sになる」ではなく、「開Sに戻る」ということです。プレトニョフの演奏をしばらく聞いていると、誰でも開Sに戻るのですから、後はそれを維持すれば良いだけのことです。プレトニョフの音楽を手掛かりに工夫すれば、大安心を手に入れることが出来ます。

演奏者の方へ

過去にプレトニョフの演奏に同調して開Sになられた演奏者の方は、最近のプレトニョフの演奏に同調してその態勢を維持して演奏するということを、改めて行なって下さい。またより確かなものにするため、その補助として音楽による目覚めのページで花や動物、そして乳幼児の写真にも同調し、それら”死に対する緊張”の無い大安心の態勢に自分もなっているかを確認して下さい。それによって確実に大安心をもたらす音楽演奏が出来る筈です。