花も葉も開S

花(シクラメン)と観葉植物(ポトス)です。これらの写真を見た時、多くの人に安心感を伴った感動が生じるでしょう。開閉感覚を使える人は、どちらも開Sであることが分かると思います。どちらの写真も人々に良いエネルギーを生ぜしめます。

花はこちらに向かってヒーリングパワーを送って来る

ただし同じ植物でありながら、花と葉の違いも気付かれると思います。結論から述べますと、葉よりも花の方が見る人の体を改善する力が強いです。葉は自然のままですが、花は自然な上にこちらに向かって能動的にエネルギーを送って来ています。

花の役目は種をつくり、子どもをふやすことで、 そのためには、おしべの「花ふん」を運んでくれるこん虫たちを呼ぶ必要があり、こん虫たちが集まってきそうな魅力的な色をして咲いているのだそうです。すなわち花は見ているものに魅力を届けようとしており、その届けようとする波動に乗って花が根付いている本体の大自然のパワーがもたらされるので、人の体を改善する力が強いと考えられます。

“花”の開S演奏者 藤田真央君

花と葉の違い、そしてこの花の特徴を認識した上で開Sの演奏者のページで開Sの演奏者たちの演奏を視聴して下さい。花と同じ特徴を持つ演奏者が4人おります。代表的な一人は藤田真央君です。

意識的に聴衆と一体になって演奏すれば”花”になる

真央君の演奏会に行ったことのある方は体験していると思いますが、偉そうに自信満々で登場するプレトニョフとは全く対照的に、謙虚に人の良さそうな挨拶をした後、ひとたび演奏に入るとスケールの大きな真央ワールドが展開し、聴衆はその中にどんどん引き込まれて行きます。彼のコンサートのこの比類なき特徴は、聴衆と一体になって演奏していることによります。自分の演奏を聴衆に聞いてもらうという域を超えて、聴衆を包み込んだより大きな自分になって演奏しているのです。チャイコフスキーコンクールの第一次予選で感覚の良いモスクワの聴衆が熱狂したのは、未だかつて体験したことのない”花”の開Sの演奏だったからです。

開Sの演奏者の音は聞く人の体の中で聞こえるということは再三述べて来ましたが、真央君の音は聞く人の体の正中で聞こえます。聞いている人にとって、真央君が自分の中に入って自分に代わって体の真ん中で演奏してくれている感じです。音が体の真ん中で響くのですから、彼の演奏には卓越したヒーリングパワーがあります。

前回体で演奏することの大切さをお伝えしましたが、本当に体で演奏することが出来た時には聴衆と一体になります。自分の体も他人の体も自然界の一部で、元々は一つだからです。自分も他人も海の中の一滴で、海に同調すれば自分も他人も一つです。真央君の様な”花”になることを早めるには、演奏開始前に聴衆と一体になり、その状態を維持して演奏をすることです。そうすることによって開Sパワーが思い切り聴衆の正中に届きます。

音楽演奏の究極の目的は聴衆により豊かな音楽を届けること

残念ながら演奏家を目指す者にとって音楽演奏の世界は小さい頃から競争の世界になっており、勝ち抜いていくことが生き残るための必須の条件になっていて、聴衆のことはすっかり忘れ去られております。その環境から生み出される音楽は聴衆にとっては”貧しい栄養”の音楽となって当然です。それでも良いという一部のクラシックおたくしか集まらない偏狭な世界です。聴衆だけでなく演奏家自身も、聴衆のためになる演奏をしてはじめて得られる本当の満足感を体験することがありません。

音楽は演奏者と聴衆の両方が揃って健全性が保たれるものです。音楽演奏の競技化は演奏技術向上のためには有効な通り道ですが、その究極の目的を競争に勝つことではなく、聴衆により豊かな音楽を届けることに置く様にすれば、競技化の”悲劇”を免れられる様に思います。

楽器の演奏者がヨーグルトの実験の写真を見て、音楽演奏が聴衆に重大な影響を与えることをしっかり認識することが出発点になると思います。

A:生命にとって良い演奏を聴いたヨーグルト B:どちらの演奏も聴いていないヨーグルト C:生命にとって悪い演奏を聴いたヨーグル

     ↓ 一ヶ月後

写真ではよく分からないと思いますが、Aはカビを取り除けば食べられそうなくらいツヤと張りが維持されていたのに対し、BとCは水が分離して形がすっかり崩れておりました。