“海の表面” ~緊張に満ちた有限の世界

別の所で既に何度かご説明して来たことを繰り返します。

海面の表面には波が次々と生じ、それらは次々と岸に打ち寄せられては消えるということが繰り返されています。でもそれによって海の水は一滴たりとも増えたり減ったりすることはありません。

私達が一番大切に思っている”自分”という存在は、実はこれらの波の一つに他なりません。海の表面を五官で見る限り、波はそれぞれ名前が付けられた独立した存在に見えます。そして先の方の波が岸に打ち寄せられて消えて行くのを見て自分の寿命も限られていることを知り、虚しくなります。

海の表面に存在する沢山の波はそれぞれが皆自分を一番大切に思っていますから、お互いの利害が一致しない場合には争いになります。従って五官によって発生したこの自分の世界は緊張の世界です。

“海の中” ~安心に満ちた永遠の世界

ここで視点を変えて、波の本体である海の中に注目するとすべてが一体で、波を識別することは出来ません。表面で波が一つ増えようと消えようと、即ち一人誕生しようが死のうが、何事も無かった様に平穏を保っています。海の中は安心の世界であり、そして後述する様に感動に満ちた光輝く世界です。

“開S”の演奏

この海の中(全体)に同調して演奏するのが開Sの演奏です。海の中(全体)に同調した大安心状態の演奏者に聴衆も同調して大安心状態になります。音楽演奏をはじめとして芸術作品は極められると、その演奏や作品を通して人々を海の中(全体)に導き、岸辺に打ち寄せられて消える自分を離れ、大安心に満ちた本来の自分を取り戻させることが出来ます。

“花のパワーの本体”

そして演奏者が同調を極めて海の中(全体)と一体になった時、それは光輝いた感動の世界であることに気付きます。どの様な感動かというと、皆さんが花を見た時に体の中から生じる、あの感動です。花の場合は咲いている間昆虫を引き寄せるためにこの感動を発散させ、役目を終えると消えて行きますが、海の中(全体)は始めも終わりも無い永遠の世界で、ずっと感動の世界そのものです。

“花の開S”の演奏

演奏家の集中が極まった時、”花の開S”の演奏になります。それを聴く人は光輝く感動の世界に導かれます。そしてその世界は、実は本来の私達自身そのものです。ですから”花の開S”の演奏の演奏を耳にした時、私達は自分本来の居場所に戻った様な、とても懐かしい気持ちになります。